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2014/12/02 (Tue) 09:48
ニポーン星物語(10)

ウマヤドの功績は数多いとされている。
コーリア星を経てやって来た新しい宗教であるツブ教を取り入れ積極的に広めようとしたとされている。
取り入れる際には、新しい宗教を取り入れることへの反対やそれを要因の一つとした戦いもあったが、結果的にはこれ以後ツブ教はニポーン星で広まっていくこととなる。
またチャイーナ星に使節としてオノ・イモコ(男)を派遣している。
ただこの際、ニポーンの皇帝とチャイーナの皇帝は対等であるというような内容の文書を使用したため、時の皇帝ヨーダイは激怒したとされている。
しかし、これによってニポーン星はチャイーナ星に服属することはなくなったと考えられている。
またこれ以外にもウマヤドは、ニポーンの政治組織に官僚制度を取り入れようとしたり、政治理念を17条にまとめて示したとされている。

しかし、ウマヤドが行ったとされている功績が実際にウマヤドが行ったのかどうかは不明な部分も多い。
また、ウマヤドに関しては能力者であったのではないかと思われる言い伝えも数多く残されている。
有名なものとしては10人の話を一度に聞くことが出来たというものがあるが、他にも馬に乗って空を飛んだ等というもののもある。
さらには、イモコと一緒にチャイーナまで赴き、ヨーダイに化けていたエイリアンを塩で撃退したという話まで存在する。
このような伝説も残されているためか、逆にウマヤドは実在しなかったのではないかという説も現在では存在する。
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2014/11/18 (Tue) 09:39
ニポーン星物語(9)

キンメーの死後、ビダツ、ヨーメイを経て、皇帝スシュンが即位した。
しかし、このスシュンはホースジュニア・ソガに暗殺されている。いまだ皇帝の権力は絶対ではなかったといえるだろう。
この後、政治紛争を避けるために即位したのが、キンメーの皇女である女帝スイコであった。
そしてこのスイコを摂政として補佐したのが、ウマヤド王子、いわゆるショートク王子である。

2014/10/21 (Tue) 09:41
ニポーン星物語(8)

皇帝ケータイには、ケータイ即位前から産まれていた子どもが2人いた。
それが、アンカンとセンカの2人である。この2人は、ケータイの次とその次の皇帝であると伝えられているが、それが事実であったのかどうかは不明な部分もある。
センカの次の皇帝はキンメーであるとされているが、このキンメーはケータイが皇帝に即位した後に前皇統の皇女との間に産まれた子どもであった。
実は、アンカン・センカとキンメーの間には対立があり、王朝が分裂していたのではないかという説も存在するのがこの時代である。
ただ、キンメーはソガ氏という当時のニポーンにおける強大な勢力を後ろ立てにしており、キンメーの時代に支配体制が整備されていったことは間違いない。
キンメーの子ども達には、ソガ系と非ソガ系の系列が存在した。
この後の歴史は、この2つの系列によって動いていくこととなる。

2014/10/07 (Tue) 09:41
ニポーン星物語(7)

皇帝ユーリャク死後の皇位継承については不明な部分が多い。
ただ、ユーリャクから4代後の皇帝ブレツ死後に大きな動きがあった。
ブレツはたいへん暴虐であったとされている。
事例としては、妊婦の腹を裂いた、人の爪を剥がして芋を掘らせた、人を木に登らせて弓で射ち落としたなどなどである。
そのブレツには跡を継ぐ者がいなかったとされている。
そのため、ブレツからは大変遠縁に当たる皇帝ケータイを遠い地方から招いて皇位を与えたのである。

ちなみにブレツの残虐行為であるが、これが事実かどうかは不明な部分も多い。
ケータイの皇位継承を正当化するためにブレツを暴虐な王として記録を残したという可能性はあるだろう。

2014/09/23 (Tue) 09:42
ニポーン星物語(6)

1世以上ぶりにチャイーナ星の記録に登場したニポーン星の記述。それはワの星の5人の王に関する記述であった。
その5人の名前はチャイーナ星の記録では、サン・チン・セイ・コウ・ブとなっている。
当時のチャイーナ星は2つ(途中で3つになる。さらに皇統も何度も変わっている)の帝国に分裂していた時代であるが、その片方の帝国にワの星は使節を送っていたのである。
この5人のうち、セイは日皇帝インギョー、コウは日皇帝アンコー、ブは日皇帝ユーリャクであるとされている。
ちなみに日皇帝アンコーは暗殺されている。
また、サン・チンとセイ・コウ・ブの間には血縁関係がなかったのではないかという説もあり、当時のワの星の王の権力は絶対的なものではなかったと思われる。

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