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2010/11/20 (Sat) 23:05
ガイドキラー外伝・茨城県関連の偉人・平将門編

茨城県ですが、何人か独立してやった方がよさそうな人がいるので、何回かやります。
今回は、平将門。まぁ何県かと言われたら、微妙なんですが、とりあえず茨城でやります。

・平将門
関東の豪族。
15,6歳の頃、平安京へ出て、藤原北家の忠平と主従関係を結ぶ。
京には、12年間いた。
その後、乱が起こることとなる。なぜ起こったのかは、いまだ不明な点が多い。
しばらく将門と他の豪族の戦いがあり、将門は連勝。
一旦、京に呼ばれる。尋問されるが、ちょうど天皇の元服があったので、赦される。
関東に戻った後も、戦いがあり、朝廷から官符が出される。
将門は、この官符で正当性を得たと考え、一気に関東で優勢に成る。
この頃までは、朝廷側も将門を反乱者だとは考えていなかったようである。

その後、関東で、国府と対立していた人間を、将門は助けようとするが、結果的に国府と戦うことになってしまい、国府軍を撃退する。
これによって、将門は朝廷に反乱を起こしたということになってしまう。
そのまま、将門は関東一円を手中に収め、親皇を自称するようになる。
だがこの後、敗退していき、戦死することになる。

将門は時代により評価が変わる人物とされている。
古代:朝敵→中世・近世:崇敬→近代:逆賊→戦後:英雄

また、伝説になったり、物語に使われたりと、話題に事欠かない人物である。

2010/11/18 (Thu) 23:03
ガイドキラー外伝・福島県関連の偉人編

今回は福島県です。

・保科正之
松平家の会津藩初代藩主。
2代将軍秀忠の息子。家光の異母弟。
ただ、乳母の侍女に産ませた子であったので、旧武田家家臣の高遠藩主保科家で育ち、そのまま父親の跡を継ぐ。
家光の時代に、加藤明成が改易させられた後の会津藩主となる。
家光に可愛がられたこともあってか正之が定めた『会津家訓十五箇条』では、会津藩は将軍家を守らなければならないという事が書かれている。
結果的に、幕末までそれが守られることになる。
家光死後は、家綱の補佐役として幕政でも活躍する。藩政でも活躍しており、江戸初期の3名君ともいわれる。
ただ、朱子学以外の学問は弾圧した。
3代目の時に、保科から松平に変わっている。

・松平容保
会津藩9代藩主で最後の藩主。
京都守護職に任命され、新撰組の上司として、京都の治安を守った。

・白虎隊
会津戦争で戦った10代の部隊。
二番隊が、飯盛山へと撤退し、そこから燃える街を見て、若松城が落ちたと思って、集団で自刃したという話は有名。


なんか松平会津藩ばっかりだけど、まぁいいか。

2010/11/16 (Tue) 23:35
ガイドキラー外伝・山形県関連の偉人編

景勝、兼続以外の人たちです。

・最上義光
義光と書いて、よしあきと読む人。絶対、言われなきゃ分かんないと思う。
山形藩初代藩主。伊達政宗の伯父。
どういうわけか父親と仲が悪くなったり、最上氏独立を阻もうとする伊達氏等に攻められたりと大変な状況に陥るがなんとか撃退、父親とも和解し、最上氏は伊達氏から独立することになる。
その後、謀略等も行いつつ、最上郡を統一する。
朝鮮出兵の際は、九州まで行っているが、朝鮮には行っていない。
渋々、豊臣秀次に嫁がせた娘は、秀次が謀反を企てたとして秀吉に切腹させられた際に処刑され、義光自身も秀次に加担したと疑われ、謹慎をくらう。
こういったことがあってか、徳川と仲良くしていたようである。
関ヶ原の際は、当然、東軍側につき、東北で上杉と戦う。
戦力的には、上杉のほうが上であったが、最上勢は、見事に抗戦するが、上杉が撤退する時は、直江兼続に撃退されることになる。
江戸時代になると、初代山形藩主となる。
政治は、よかったらしく、一揆もほとんど起きなかったらしい。
しかし、義光死後は、後継者争いが起こり、義光死後9年で改易とされ最上家は大名ではなくなっていく。

謀略を用いることが多かったためか、悪役として描かれることのほうが多い。
戦国BASARA3でも、口だけ達者なちょっと嫌なやつになっています。
ただ、それは伊達家の視点だけから見た評価ですので、もっと違う視点から見なければいけないとは思いますね。
義光が、大河の主人公になる時は、訪れるのだろうか?

・上杉綱憲
米沢藩4代藩主。
忠臣蔵で有名な吉良義央の息子。奥さんは、紀州徳川家の女性で、吉宗の義理の兄でもある。
2歳の時に、跡継ぎのいなかった上杉家の当主となる。
次男を父親の養子にしたりと、当然ながら吉良家とは仲がよかった。
文治主義で、風俗の統制なども行った。だが、綱憲の時期に上杉家の財政はやばくなっている。
赤穂浪士討ち入り事件では、父親を助けるために出兵しようとするが、家臣に止められたとされている。
この一件で、上杉家は庶民からの評価を落とす。

・上杉治憲(鷹山)
米沢藩9代藩主。
日向高鍋藩主の息子。
母方のおばあちゃんが、綱憲の娘なので、上杉家の養子となった。
この頃、上杉家の財政は本当にやばかったので、改革を行う。
改革の内容は、簡単に言えば倹約と産業振興。
とにかくむちゃくちゃ評価が高い人。
今でも、政治家が尊敬する人物に入っていたりする。
ただ、過大評価されているんじゃないか、と思う時はある。

・清河八郎
庄内藩出身の志士。
郷士の子である。
学問と剣術を修め、江戸に塾を開く。
やがて、尊皇攘夷思想を深めていく。
過激な倒幕計画を考えていたため、追われることと成るが、幕府を出し抜いて、浪士組を結成する。
名目は、将軍の警護だが、実際は尊皇攘夷のために造ったということを京都でぶっちゃけると、後の新撰組になるメンバーが大反対。
その後、清河は江戸で幕府の刺客に暗殺される。

なかなか濃いメンバーになりました。


2010/11/14 (Sun) 23:30
ガイドキラー外伝・山形県の偉人・上杉景勝と直江兼続編

山形ですが、この2人は別にやっておくべきかなぁと思いました。
まぁ、山形の偉人というより、米沢の偉人かもしれませんが。

・上杉景勝
米沢藩初代藩主。
出身は越後。
叔父である上杉謙信の養子。
謙信死後、義兄である景虎と相続争いを繰り広げる(御館の乱)。
状況が悪くなっていった景虎は最終的に自害。景勝が上杉家の当主となる。
そんな争いをやっていた時に、信長が攻めてきており、窮地に立たされていたが、本能寺の変が起きたので、助かる。
信長死後は、秀吉と仲良くする。
朝鮮出兵にも参加し、五大老の1人になる。
そして、越後から会津に移封される。これは、最上・伊達などへの監視と牽制のためとされている。
秀吉死後は、家康と対立。
家康は会津を攻めようと出兵するが、石田光成が挙兵。引き返す。
景勝は、東軍側の伊達政宗・最上義光らと東北で戦うが、西軍は敗北。
米沢に移封される事になり、一気に領地を減らす。

・直江兼続
上杉氏家老。
越後出身。元は樋口氏。
御館の乱の際に、景勝側に付く。
争いの中で、直江家の跡継ぎがいなくなったので、婿養子になり、直江家を継ぐ。
景勝の下で、執政のほとんどを行う。兼続の執政の下で、越後は発展したとされる。
朝鮮出兵にも参加。
景勝が会津に移封された際、米沢に領地を与えられる。
家康との対立の際、兼続の書状が家康を激怒させ、家康が出兵したとされているが、本当かどうかは、よく分からない。
関ヶ原の戦いの際は、大軍で最上義光の領地である山形を攻めるが、かなりの被害を受ける。
ただ、撤退戦に関しては、見事だったと称賛されている。
江戸時代になってからは、治水事業など、藩政で活躍する。
ただ、兼続の死後、直江家は断絶することになる。

両者とも、元々それなりの知名度はありましたが、大河で一気に有名になった感じはしますね。
特に、兼続は「愛」の兜が、ちょっと話題になりました。まぁ今の「愛」とは違うんですが。
両者とも、関ヶ原に関しては、ろくな結果を残せてないんですが、花の慶次とかの影響もあるのか、義とか忠義とか、そういった面でものすごい評価されている感じがしますね。
まぁ米沢の発展の礎を築いたわけで、政治面でも評価できるんでしょうけどね。
ちなみに、戦国BASARAでは、景勝は全く出てきません(モブで出てるかもしれないけど)。
謙信しか出てこないわけなんですが、そんな上杉軍に前田慶次と兼次がいるわけです。時代が違うだろという突っ込みは野暮なものでしょう。
それよりも、無敵と叫びながら、攻撃2,3発でやられるザコキャラに兼続がなっていることの方が、不思議でしょうがないんですが、おそらく次回作が出ても、変わらないんだろうなと思う。

2010/11/12 (Fri) 23:28
ガイドキラー外伝・宮城県関連の偉人編

今回は、宮城県の伊達政宗以外です。

・片倉景綱
伊達家家臣。通称小十郎。鬼の小十郎とも言われたらしい。
戦国BASARAの影響で、めちゃくちゃ有名になった人。
ちなみにBASARAでは、忠義に厚いヤクザの若頭みたいになっているが、まぁそんなもんだったかもしれない。

・支倉常長
伊達政宗の家臣。
ヨーロッパまで行った人。

・原田宗輔
仙台藩家老。通称原田甲斐。
お家騒動である伊達騒動の当事者の一人。
対立している方のトップを斬殺するが、その際にいた対立している方の人間と斬り合って、お互い死ぬという劇的な最期を遂げる。
悪役に描かれることもあれば、忠臣に描かれることもある。

・工藤平助
仙台藩医師。
杉田玄白・前野良沢らとの交流もあった。
大槻玄沢とはすごい仲がよかったらしい。
ロシアに脅威を感じ、開港交易と蝦夷地経営を説いた。
この意見が、田沼意次時代の北方探検・北方交易計画につながっていくらしい。

・大槻玄沢
仙台藩支藩出身の蘭学者。
杉田玄白・前野良沢の弟子であり、自身も多くの弟子を育てる。

・林子平
仙台藩士。
寛政の三奇人の一人。
工藤平助、大槻玄沢らとの交流もあり、ロシアの脅威と海防の必要性を主張した本を書くが、松平定信時代に幕府に危険視され、蟄居をくらってそのまま死亡。

・山南敬助
仙台藩出身らしい新撰組総長。
試衛館時代からのメンバー。
理由は不明だが、新撰組を脱走しようとし、処刑される。
割とマイナーだったが、大河の影響で一気に人気になりましたね。

・大槻磐渓
幕末の漢学者。蘭学者大槻玄沢の息子。
開国論を唱えたが、それは親露開国論だったとか。
また佐幕派でもあり、将軍家を宰相とした立憲君主制を想定していたとか。
だが、弟子も含めて佐幕派だったため、仙台藩が朝廷軍に敗れた後は、罰せられて禁固になる。

なかなか面白い人物がいっぱいでしたね。
なんというか海外に目を向けていた人が多かった気もしますが、支倉常長以降の伝統みたいなのがあったりしたんでしょうか。

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