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2010/11/30 (Tue) 23:13
ガイドキラー外伝・栃木県関連の偉人編

栃木ですが、とりあえず足利尊氏だけになってしまいました。
しかも、尊氏は栃木の偉人なのかどうなのかという問題もあるのですが、とりあえずやります。

・足利尊氏
室町幕府初代将軍。
生地には諸説あるが、鎌倉幕府御家人足利氏に生まれる。
最初は、高氏だった。
鎌倉幕府執権の妹と結婚する。
最初は鎌倉幕府側として、後醍醐天皇側の兵と戦っていたが、裏切って天皇側に付く。
そして、京都にあった鎌倉幕府の機関である六波羅探題を滅ぼす。
同じ頃に、関東でも新田義貞が反乱を起こしており、鎌倉幕府は滅亡する。

後醍醐天皇の建武政権期に、尊氏に改名。
北条氏残党が起こした中先代の乱で、鎌倉を一時奪われるが、尊氏は天皇の許可を得ないまま出兵。鎌倉を取り戻す。
尊氏は、そのまま鎌倉に残り、独自の政権づくりの動きを見せ始める。
そのため、天皇が尊氏討伐の軍を出すと、尊氏は反乱を起こした。
そのまま、尊氏は京都に入り、後醍醐天皇は比叡山へ退く。
しかし、楠木正成や新田義貞らに攻められ、九州まで下ることとなる。
そして再び京都に向かい、新田・楠木を撃退して、京都を制圧する。
尊氏は、後醍醐に和議を申し入れ、光明天皇をたて、新しい政権をつくった。
しかし、後醍醐は奈良の吉野へ逃れ、ここから南北朝時代が始まる。

尊氏は征夷大将軍になり、基本的に南朝側との戦闘を優位に進めている。
政治的には、弟の直義との両頭政治であった。
しかし、このことが政権内部の対立と成り、観応の擾乱と呼ばれる内部抗争が始まる。
この争いは、非常にややこしく、両派共に南朝と和睦したり、南朝が一時京都を制圧したりと色々とあったが、結果的には尊氏の一人勝ちとなるのである。

評価が時代や見方によって、すごい変わる人。
幕末から逆賊扱いされ、明治時代には、南朝に正当性があるのだという考えが強くなり、教科書問題にまでなって、結果的に尊氏の評価はどん底になる。
しかし戦後には、再評価されている。
それでも、やはり色々と難しいのか、映像化に全く恵まれない人。
どうしても、楠木正成とかの方が人気出ちゃうんだよね。
足利三代とかやればいいのに。
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2010/11/28 (Sun) 23:12
ガイドキラー外伝・茨城県関連の偉人編

・佐竹義重
戦国大名。
北条氏と関東の覇権をめぐって争い、伊達政宗とも対立した。
一時、両者に挟まれ、やばくなったが、秀吉に従ったので、挽回した。
常陸国を統一したが、関ヶ原の際、曖昧な態度を取ったため、秋田に移封された。
戦国BASARA3では、不器用でまっすぐな人物になっている。

・塚原卜伝
剣豪。
鹿島出身。
色んな伝説があるが、あくまで伝説であって、どこまで本当かは分からない。

・芹沢鴨
新撰組初代局長。
水戸藩出身。
水戸藩で尊皇攘夷運動をやっていたが、一時逮捕される。
釈放された後に、清河八郎が結成した浪士組に参加。清河が倒幕活動をやるつもりだったので、脱退。
しばらく近藤らと活動することになるが、愛人と寝ているところを襲われ、愛人ともども惨殺されることになる。
殺したのは、新撰組の近藤派であるが、実行メンバーに関しては、諸説ある。
また殺害した理由も、芹沢派が乱暴狼藉を行っていたからだとされているが、これも色々言われている。

・伊東甲子太郎
新撰組参謀。
志筑藩出身。
水戸学を学び、尊王思想に。
藤堂平助の仲介で、新撰組に加盟するが、伊東は倒幕よりだったため、近藤らと対立することになる。
新撰組を脱退して、御陵衛士を結成するが、新撰組に暗殺され、死体を回収しに来た御陵衛士も藤堂平助を含めて、多数殺害される。

茨城県から、2人も新撰組重要メンバーが出て、2人とも近藤らと対立して暗殺されちゃうっていうのが、なんか面白い。
やはり水戸学の影響なのか。

2010/11/25 (Thu) 23:06
ガイドキラー外伝・茨城県関連の偉人・徳川斉昭・慶喜編

この2人も、別にやらないといけないかなと思いました。

・徳川斉昭
水戸藩9代藩主。
皇族の娘と結婚している。
身分の高くない層から登用を行い、藩政改革を行った。
一旦は、色々な事件の罪を問われて、幕府から謹慎をくらうが、後に復帰。
藩政に関与する。
黒船来航後は、幕政にも関与。攘夷論を主張し、井伊直弼と対立する。
14代将軍を決める際にも、息子である慶喜を推して直弼と対立。
結果的には、直弼が政争で勝利、謹慎をくらい、安政の大獄で、政治生命を絶たれる。

・徳川慶喜
江戸幕府最後の将軍。
徳川斉昭の七男。
幕府からの命で、一橋家を相続することになる。
14代将軍を決める際、斉昭や島津斉彬などから将軍に推されるが、将軍になったのは家茂であった。
安政の大獄で、謹慎をくらう。
井伊直弼が暗殺されると、謹慎解除。
天皇の勅命もあって、将軍後見職になり、文久の改革を行う。
この改革で、京都守護職が設置される。
自身も、京都に赴き、朝廷と交渉を行うなど、重要な役割を担った。
家茂死後に、将軍になり、幕府の軍制改革を行っている。
徳川政権維持のために、大政奉還を行うが、新政府側の策略で、徳川政権維持は失敗。
戊辰戦争が始まり、幕府側が不利と判断すると、愛人とともに江戸へ退却。この退却の動機は、不明とされている。
江戸城が無血開場すると、水戸に移る。その後、駿府に移り、趣味に没頭する生活を送る。
その後、巣鴨に移住。

幕末を語る上で、絶対に外せない2人でしょうか。
将軍を出せなかった水戸徳川家が、幕末になって活躍するというのは、面白いですね。
慶喜は、かつては評価がすごい低かった人物ですが、最近は、再評価もされている人物です。
まぁ昔は、薩長はすごかったけど、幕府はだめだめだったという考え方が主流でしたからね。
最近は、幕府もすごいがんばっていたという評価をされるんですが。
ただ、そうは言っても、薩長がすごかったんだっていう評価が一般的なお茶の間では、まだまだ言われている感じがしますね。

2010/11/23 (Tue) 23:03
ガイドキラー外伝・茨城県関連の偉人・徳川光圀編

この人もやはり別にやらないといけないでしょう。

・徳川光圀
水戸藩2代藩主。
いわゆる水戸黄門。
初代水戸藩主頼房の三男であるが、母は頼房の家臣の娘。
頼房は堕胎を命じていたが、ひそかに出産したとされている。
幼少時は、その家臣の家で育ったようである。
その後、色々敬意もあって光圀が藩主を継ぐことが決定される。
この頃の光圀は、刀を振り回したり、遊郭に通ったりなどの行いをしていたとされる。
前関白の娘と結婚。
「大日本史」の編纂作業も始める。これが完成するのは光圀の死後、250年後。
そして、2代藩主となり、藩政、文化事業などで活躍。ただ、文化事業が原因で財政難に陥ることになる。
兄を差し置いて、藩主になったので、兄の息子を養子にして、跡継ぎとしている。

また、ラーメンなどの外国の料理や、当時としては珍しく動物の肉を食べたとされている。
中国人や黒人も家臣にしていたらしい。

ちなみに、光圀以後の水戸藩は、財政改革に乗り出すが、一揆を招いてしまい、改革に失敗。
評価を落として、以後水戸から将軍は出ることはなく、「天下の副将軍」と呼ばれるようになる。
また、光圀の文化事業が尊王思想につながり、結果的に討幕運動を引き起こすことになるという評価もある。

水戸黄門として非常に人気が高く、知名度も高い光圀ですが、藩政に関していえば、結果的にはあまり良くなかったのではないかという評価も出来る人物です。
水戸黄門のイメージに囚われずに評価することが大事になってくるのでしょうが、それでも水戸黄門という作品自体は、これからも続くでしょう。
もはや水戸黄門は、一種の伝統みたいになってますしね。

2010/11/21 (Sun) 23:00
プリキュア感想・サソリーナ死亡(?)回

・プリキュア
今日の話は、プリキュア史上でも屈指の回だったのではないでしょうか。
というのも、今までやらなかったことやってます。
つまり、敵幹部の死亡回をかなり丁寧にやったことです。
今までのプリキュアでは、敵幹部が死亡しても、特に何も描かれませんでした。
一部、例外はありますが、それは物語上重要なキャラクターな場合のものです。
しかし、今回のサソリーナは、それほど重要なキャラクターとは思えません(実は重要かもしれないが)。
そのキャラクターの死亡回を、丁寧に描き、他の敵幹部の感情、プリキュアの感情、それぞれを丹念に描いているという点で、今回の話は非常に面白かったです。

また気になるのは、サソリーナは、本当は別人だったということです。
サソリーナ自体は消えましたが、サソリーナに似た病気の女性が目覚めている。
どうやら、今回の敵幹部は、全員そんな感じなのかもしれません。
たぶん、サバーク博士の正体も、あの人なんだろうなぁと思いますし。
いやぁ、今後の展開も楽しみですね。

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