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2014/10/21 (Tue) 09:41
ニポーン星物語(8)

皇帝ケータイには、ケータイ即位前から産まれていた子どもが2人いた。
それが、アンカンとセンカの2人である。この2人は、ケータイの次とその次の皇帝であると伝えられているが、それが事実であったのかどうかは不明な部分もある。
センカの次の皇帝はキンメーであるとされているが、このキンメーはケータイが皇帝に即位した後に前皇統の皇女との間に産まれた子どもであった。
実は、アンカン・センカとキンメーの間には対立があり、王朝が分裂していたのではないかという説も存在するのがこの時代である。
ただ、キンメーはソガ氏という当時のニポーンにおける強大な勢力を後ろ立てにしており、キンメーの時代に支配体制が整備されていったことは間違いない。
キンメーの子ども達には、ソガ系と非ソガ系の系列が存在した。
この後の歴史は、この2つの系列によって動いていくこととなる。
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2014/10/07 (Tue) 09:41
ニポーン星物語(7)

皇帝ユーリャク死後の皇位継承については不明な部分が多い。
ただ、ユーリャクから4代後の皇帝ブレツ死後に大きな動きがあった。
ブレツはたいへん暴虐であったとされている。
事例としては、妊婦の腹を裂いた、人の爪を剥がして芋を掘らせた、人を木に登らせて弓で射ち落としたなどなどである。
そのブレツには跡を継ぐ者がいなかったとされている。
そのため、ブレツからは大変遠縁に当たる皇帝ケータイを遠い地方から招いて皇位を与えたのである。

ちなみにブレツの残虐行為であるが、これが事実かどうかは不明な部分も多い。
ケータイの皇位継承を正当化するためにブレツを暴虐な王として記録を残したという可能性はあるだろう。

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