プロフィール

修都

Author:修都
別にカンガルーで何かやるわけではないですよ
赤ちゃんだけは守りぬけ!
twitter始めました

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

web拍手

フリーエリア

--/--/-- (--) --:--
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010/11/23 (Tue) 23:03
ガイドキラー外伝・茨城県関連の偉人・徳川光圀編

この人もやはり別にやらないといけないでしょう。

・徳川光圀
水戸藩2代藩主。
いわゆる水戸黄門。
初代水戸藩主頼房の三男であるが、母は頼房の家臣の娘。
頼房は堕胎を命じていたが、ひそかに出産したとされている。
幼少時は、その家臣の家で育ったようである。
その後、色々敬意もあって光圀が藩主を継ぐことが決定される。
この頃の光圀は、刀を振り回したり、遊郭に通ったりなどの行いをしていたとされる。
前関白の娘と結婚。
「大日本史」の編纂作業も始める。これが完成するのは光圀の死後、250年後。
そして、2代藩主となり、藩政、文化事業などで活躍。ただ、文化事業が原因で財政難に陥ることになる。
兄を差し置いて、藩主になったので、兄の息子を養子にして、跡継ぎとしている。

また、ラーメンなどの外国の料理や、当時としては珍しく動物の肉を食べたとされている。
中国人や黒人も家臣にしていたらしい。

ちなみに、光圀以後の水戸藩は、財政改革に乗り出すが、一揆を招いてしまい、改革に失敗。
評価を落として、以後水戸から将軍は出ることはなく、「天下の副将軍」と呼ばれるようになる。
また、光圀の文化事業が尊王思想につながり、結果的に討幕運動を引き起こすことになるという評価もある。

水戸黄門として非常に人気が高く、知名度も高い光圀ですが、藩政に関していえば、結果的にはあまり良くなかったのではないかという評価も出来る人物です。
水戸黄門のイメージに囚われずに評価することが大事になってくるのでしょうが、それでも水戸黄門という作品自体は、これからも続くでしょう。
もはや水戸黄門は、一種の伝統みたいになってますしね。

<< ガイドキラー外伝・茨城県関連の偉人・徳川斉昭・慶喜編 | ホーム | プリキュア感想・サソリーナ死亡(?)回 >>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。