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2010/12/12 (Sun) 23:22
ガイドキラー外伝・神奈川県関連の偉人・源頼朝編

神奈川県ですが、頼朝は単独でやらないといけませんね。まぁ神奈川というよりかは、鎌倉の偉人でしょうが。

・源頼朝
鎌倉幕府初代将軍。武家政権を始めた人物ともいわれる。

河内源氏の棟梁の子として尾張国で生まれる。母親は、熱田神宮大宮司の娘。
平治の乱で父親が平清盛率いる平家軍らに敗れる。
京からの逃走途中、頼朝は捕まり、父や兄は殺される。
捕まった頼朝も処刑されると思われたが、清盛の継母の助命嘆願等もあってか、伊豆に流される。
この流刑中に、北条政子と結婚。

京で、以仁王らが平氏追討を令旨を源氏に発するが、頼朝は最初は静観する。
しかし、平氏が源氏追討を企てていると知ると、挙兵。
ただ、石橋山の戦いで敗北。現在の千葉県南部まで逃げることとなる。
その後は、関東各地の豪族を味方に引き入れつつ、鎌倉に入り、政治の拠点とする。
平氏が攻めてきた富士川の戦いでは、平氏軍は水鳥の飛び立つ音に驚き、ほとんど戦わずに勝利したというふうに言われている。
その後、東国を平定すべきという御家人らの意見もあって、東国にとどまり、鎌倉幕府に繋がる政策を行っていく。
この頃、義経がやってきている。

頼朝が関東に留まる中、義仲が入京。
しかし、義仲のやり方に朝廷が反発。頼朝の上洛を望む。
それを頼朝は拒否するが、朝廷は、頼朝が実質的に勢力下に置いていた東海道・東山道の支配権をほぼ認める。
そして頼朝は、義経を京に送り、義仲を敗死させている。

頼朝は鎌倉に留まり、政治組織を整備し続ける中、義経らは平氏を滅亡させる。
勝利した義経は、鎌倉に向かうが、頼朝は鎌倉に入ることを許さなかった。この理由に関しては、色んな説が言われている。
この頃から、義経と頼朝が対立。
義経は頼朝追討の宣旨を朝廷から得るが、兵が集まらず、京を逃れる。
代わりに入京した頼朝配下の武士らは強硬な態度を朝廷にとり、義経追討の院宣を得、全国に守護・地頭もおかせる。
そして、義経を保護していた奥州藤原氏にも圧力をかける。その結果、奥州藤原氏は義経を攻め、義経は自害する。
その後頼朝は、奥州藤原氏追討の宣旨も求め、出されていない段階で攻め滅ぼす。
これによって、内乱は終結する。

この後、頼朝は遂に上洛。
この時は、征夷大将軍に任じられていないが、後白河上皇が死んだ後に、征夷大将軍になっている。


頼朝という人物は、日本の歴史を考える上で、絶対に外せない重要な人物であり、政治的にも優秀な人物だったと思われるのですが、人気は全然ないですよね。
義経の方が、圧倒的に人気だったりするわけですが、やはり頼朝は冷徹なイメージをもたれているのだろうか。
ぶっちゃけ、義経よりも頼朝の方が、何倍も重要だし、政治的にも優秀なんじゃないかと思うんですけどね。
やはり、義経の話のほうが、悲劇性があっていいんですかねぇ。

それにしても、県別でやると義経はどこでやればいいのか。京都になるのだろうか?
まぁいっそのことやらないっていう手もありますが。

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