プロフィール

修都

Author:修都
別にカンガルーで何かやるわけではないですよ
赤ちゃんだけは守りぬけ!
twitter始めました

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

web拍手

フリーエリア

--/--/-- (--) --:--
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011/04/10 (Sun) 22:35
ガイドキラー外伝・愛知県関連の偉人・織田信長編

愛知県は、有名な戦国大名を多数輩出しているのですが、全部やると大変なので、信長と秀吉に限定してやりたいと思います(家康はすでのやっています)。
今回は信長。

・織田信長
尾張の守護代織田氏の分家であり家臣である織田家の次男として生まれる。
母親が正室であったため、嫡男になる。
若い時は、奇抜な行動が多く、「尾張の大うつけ」と称されていたとされている。
また、人質であった後の家康とも幼少期に知り合っている。
斎藤道三の娘である濃姫を正室に迎える。
父の死後、家督を継ぐ。
ただ、主の織田家が信長の弟の家督相続を支持したため対立、尾張守護の斯波家は信長を支持したが、そのために主の織田家に殺害される。
信長は、主の織田家が守護を殺害した事を名目に主の織田家を滅ぼす。
さらにその後、家臣間でも信長の弟を擁立しようとする動きが起こり対立が発生する。
信長は弟を謀殺している。
さらにその後、織田の宗家も追放、守護の斯波家も追放。
こうして信長は尾張を統一した。
この頃、今川義元が尾張へ侵攻していたが、桶狭間の戦いでそれを倒した。
この後、今川から独立した家康と同盟を結んだ。
そして美濃の斎藤家も破り、尾張・美濃を領するようになった。
この頃、足利義昭と接触している。
また、武田家とも友好関係を保とうとしていた。
そして義昭を伴って上洛し、義昭を将軍にした。
このときは、和泉一国だけをもらって帰国している。
ただ、義昭と信長の仲は段々と悪くなっていき、義昭は信長包囲網をつくっていく。
これに対して信長は姉川の戦いで、越前の朝倉・近江の浅井(妹の嫁ぎ先)に勝利。
ただ、この後戦況は悪化していく。
この頃、有名な比叡山焼き討ちを行う。
さらにこの頃、武田が上洛を進めており、信長・家康は対処を迫られていたが、信玄は急死した。
この後、信長は態勢を立て直し、義昭を追放。室町幕府は滅亡した。
朝倉・浅井も滅ぼした。
こうして信長包囲網を段々と打破していった。
武田に対しても、徳川と協力した長篠の戦で圧勝した。
この後、信長は嫡男信忠に家督を譲っているが、実質上は信長が政事を取り行っていた。
そして琵琶湖湖岸に安土城を建設した。
この頃、再び信長包囲網が出来始めるが、これも打破した。
そしてこの頃から、家臣たちに大きな領地を与え、周辺の攻略に当たらせていき、信長絶頂期になっていく。
そして武田も滅ぼした。
この後、信長は中国遠征のため上洛し、本能寺にいた。
そこを明智光秀が急襲。信長は自害したとされている。

戦国大名の中でもトップクラスで人気ある人で、評価も色々とあります。
ただ、時代を大きく変えた人物で、当時の常識に捕らわれなかった的なイメージでは一貫しているのではないでしょうか。まぁ、この評価は秀吉にも当てはまるんですが。
ただ信長の場合面白いのは、創作作品ではオカルト系の悪役として登場する事例がとても多いんですよね。
「第六天魔王」と名乗っていた事などが理由なのかもしれませんが、とんでもない悪役で登場する事が多い歴史上の偉人というのもなかなか少ないのでは。

<< ガイドキラー外伝・愛知県関連の偉人・豊臣秀吉編 | ホーム | 雑感 >>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。